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第27話:心の荷物を下ろす



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早朝、大雨が降った。

香苗はその音で一度目覚めた記憶があった。

 

土曜日の朝、ベッドから出てカーテンを開けると、まだ地面が湿っていた。

 

(ああ、早朝にふった雨のせいか…。)

そう思いながら眠たい目をこすり、スマートフォンを開く。

 

昨日の夜に真くんからメールがきていた。

『明日、林さんが夕方にシンギングボウルのワークをするから一緒に行かない?送ってくよ。』

 

明日って、今日のことだ。シンギングボウルってなんだ、と思いながらポチポチ返信をする。

『シンギングボウルって何?行ってもいいけど、よくわかんない。』

 

すぐに返信がきた。

『ゴンゴン音のなるやつ。15:00に迎えにいくよん。』

 

ゴンゴン音のなるやつ?変な説明、と思いながら添付されてきたチラシの画像にもあまり目をとめず香苗はコーヒーを入れた。

 

コーヒーが喉を流れるのに従って、徐々に目が覚めていくのを感じた。

もう一度、スマートフォンを見て今日は土曜日であることを確認する。

 

昨日までは仕事が忙しかった。

毎日毎日やることに追い回されて、今日が土曜日で仕事が休みなことにも土曜日の朝に確認する始末だ。

 

手帳を見るとやる事リストがパンパンに詰まっていた。

不安定な天気のせいか、頭もぐちゃぐちゃしてなんだか重い。

 

(ああ…。やることいっぱいあるなあ。なにからやったらいいんだろう。15:00までには準備しなきゃ。)
と香苗は思いながら、何も考えない代わりにコーヒーを少しずつ体に流し込んでいた。

 

***

 

結局ほとんど何もしないまま、真くんとの約束の時間が近づいた。

 

香苗は、もう今日は何もしなくていいや明日頑張ろう明日、と自分に言い聞かせて外出の準備に集中しようとしていた。

 

15:00少し前に真くんが香苗の家に到着した。

 

その日は香苗の母親は自宅にいなかった。母親がいたら喜ぶだろうなと思いながら、香苗は真くんと軽い挨拶をして車に乗り込んだ。

 

***

 

会場は大きな体育館のような場所で、香苗たちが着いたときにはすでにそれなりの人が来ていた。

 

(ええっ…意外と人気なんだな、このイベントは…。)

香苗は想像と異なる人の集まりにやや驚き、あたりをきょろきょろと見渡しながら真くんについていった。

 

会場には少しの間隔ごとに椅子が置かれていて、香苗たちも場所を選んで隣同士で着席した。

 

初めてのことで香苗は緊張していたのを察してか、真くんが声をかけてくれた。

「大丈夫だよ、なんのことはない。ただゴンゴン音がするのを聞くだけ。」

 

「そのゴンゴンって何。」

 

(わかりにくい説明だな…。)と思いながら香苗は時間をまった。

 

待ち時間の間に、なんとなく、自分は今日このイベント以外に何にもしていないということを思い返して情けなくなった。

 

***

 

イベントが始まり林さんが拍手に包まれて登場する。

 

林さんは司会者のマイクを借りて、1と2に瞑想と祈りがなんとかと言っている。

 

香苗はあまり話は聞いておらず、林さんの後ろに少しずつ準備される大小さまざまなお椀のような楽器をぼーっと眺めていた。

 

林さんの話が終わると、シンギングボウル演奏者が登場し、彼らの演奏が始まった。

 

ふとあたりを見ると、椅子から降りて床に座る者、マットをひいて寝転がって準備する者などがいた。

聞き方は意外と自由なんだな…と思いながら、香苗は椅子に腰かけて待った。

 

どこからともなく頭の中にしみこむような、澄んだお香の香りが流れてきた。

 

***

 

なんとも言えない柔らかい音。

お寺で聞く鐘の音にも似たような懐かしい感じのする音でもある。

 

大小さまざまなボウルから高低差のある音が響く。

 

シンギングボウルの音色、お香の香りが澄んだ空気の中を流れていく。

 

今朝まで追われるように仕事をして、今日やっと、ああ今日は土曜日で休みなんだと気が付いた。

そこから特に何をするということでもなく、なんとなくモヤモヤを抱えたままここに来た。

 

忙しさのせいもあってか頭もあまり回っていなかった。

 

それがボウルの音色やお香の香りと共に浄化され、自分の中から不要なものが整理され消えていくような感覚があった。

 

1音ごとに、頭の中のごちゃごちゃが取れていく。

 

それはまるで、文字でいっぱいの手帳からやる事リストが1つずつ消えていくかのようだった。

 

(ああ。やっと自分が戻ってきた。)

香苗はそんな感覚を一音一音に感じていた。

 

何をすればいいかもわからない日々を必死に駆け抜けてきていたことに気が付いた。

 

シンギングボウルの音1つ1つが鳴るたびに、心や頭にぶら下がった不要な荷物が落とされていくのを感じていた。

 

徐々に世の中がクリアに見えていく。

これまでは今の自分に関係のない事柄で、目がかすんでいたかのようだ。

 

その濁りが嘘のように取れていくのを感じていた。

 

***

 

キーン、キーン、キーン。

 

非常に高い音。

 

最後に、高い音と共に自分の中に光が入り込んでくるような感覚があった。

 

1音なるたびに、目の前の道が開けていくような不思議な感覚だった。

 

 

音が鳴り終わってしばらくすると林さんがまたマイクをとった。

 

「今日はシンギングボウルを使った浄化のワークでした。僕たちが落ち着いた毎日を過ごし、冷静に歩いていくには1にも2にも瞑想です。」

 

「皆さんに乗っかかる悪い影響を落としてリセットする、祈りの時間を取りましょう。

今日こうして皆さんと、心の中のいらない荷物を下ろす浄化のワークの時間をとれたこと、感謝します。」

 

会場の拍手に包まれながら、香苗は自分の頭と心の中がクリアに変化したのを感じていた。

ふと時計を見ると、開始から1時間半が経過していた。

 

***

外に出ると、一度乾いたはずの地面と車がまた濡れていた。

 

ワークの途中で、気が付かないうちに雨が降ったようだ。

香苗にはそれは、自分の心の曇りを洗い流してくれた、浄化の雨のように感じた。

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