第24話:祝福の朝日

「池川さん、今日はよろしくね。日勤でお産三人はいって、一人は昼間に経腟、一人はさっきオペ室で生まれてNICUに。もう一人は、うーん、今日の夜勤帯かなあ。」

 

「はい、わかりました。もう一人は38週で初産婦ですね。既往歴は高血圧、と…。」

妙子さんは医療スタッフ用の制服に身を包み、電子カルテを立ち上げた。

 

「そう、よろしくね。なんでも、不妊治療の末に授かった待望の第一子みたいよ。日勤の子からも引継ぎ、聞いておいてくださいね。」

 

「はい。」

妙子さんは病院で助産師をしている。

趣味だった占いを本格的にやるようになって、今では占いでお客さんを取るようになった。

しかし、生活の基盤は助産師の仕事であるといっていいだろう。

助産師は昼も夜も働ける仕事だ。今日は夜勤の仕事に入っていた。

 

「池川さん、引継ぎお願いします。患者は35歳女性、初産婦です。既往歴は高血圧があります。」

妙子さんは、病院で同僚として働く3年目の助産師から引き継ぎを受けた。

 

「お産まだ進んだり止まったりで、やっといま5cmです。本人は結構痛がっているけど。」

 

妙子さんは引継ぎを聞いた後、患者のところへ向かった。

 

「こんにちは、夜勤を担当します。池川妙子です。よろしくお願いします。」

 

「あ、ああ…。中村です。結構痛くて…いま何cmですか?さっきと変わってないですか?」

 

「そうねー。うーん、まだかなあ。」

 

「はあ、はあ。そう…。」

 

「血圧はかりますね。頭痛はない?今日はどんなお産にしたいんですか?」

 

****

 

妙子さんは受け持ち患者の血圧などを測定し、状態を見たあとカルテ情報を打ち込んでいた。

 

「お、おはよう。どう?中村さんの様子は。」

医師が妙子さんに話しかけた。

 

「まだ子宮口そんなに変わりません。5-6cmでしょうか。」

 

「そうか、わかった。何かあったらよんで。」

医師は別の患者を診るために、お産室を離れた。

妙子さんも別の患者を診るために、一度、中村さんの元を後にした。

 

***

 

「うーんっ…、うーんっ…。」

妙子さんは中村さんのもとに戻ってきていた。

中村さんは額に汗をびっしりかいてベッド柵をもって荒く呼吸している。

 

「中村さん。目開けられますか?そうそう上手上手。血圧はかりますね。」

妙子さんも中村さんの状態に合わせて腰をさすったり声掛けを行う。

 

「さっきより子宮口開いてきているからね。あと、そうだな、このまま進めば3時間か4時間かなあ。血圧、はかりますね。」

 

「3時間か、4時間?無理です、絶対無理。痛い…。もうおなか切ってください。」

 

「旦那さんは?応援してくれているの?血圧160/120か…。」

 

「ああ、はい。うちは不妊治療してたから。ずいぶん喜んで。今はうちで待ってくれています。生まれたら連絡ちょうだいねって。」

 

「そう、いい旦那さんじゃないですか。もうひと頑張りだからね。」

妙子さんは、出産で弱気になる中村さんにうまく声をかけ、気持ちを紛らわせようとしていた。

 

***

 

「先生、中村さんの血圧160/120です。」

 

「そう、結構上がってきてるね。降圧剤いれてくれる?痛いと血圧あがっちゃうかなあ。」

 

「わかりました。中村さん、降圧剤の点滴いれますね。」

 

「ああ、はい。お願いします。ちょっとおなか楽になってきました。赤ちゃん、元気ですか?」

 

「そう、ちょっと陣痛遠のいてるかな。痛みが落ち着くようなら、今の内に少し休んだら?眠れるようなら仮眠もとってくださいね。赤ちゃんは今のところ大丈夫そうね。何か食べますか?」

 

中村さんは赤ちゃんが元気だと知って安心した様子だった。

初めてのことで不安や緊張がたくさんある、新型コロナウイルスの観点から旦那さんの付き添いがないことも不安材料の一つだ、と陣痛が遠のいた間に妙子さんに話してくれた。

 

「うち、ほんとに子供できなくって。ずっと待ち望んでた子なんです。だからやっぱり旦那さんやみんなに見てもらいたいし抱っこしてほしい。自分もこの手にこの子を抱きたいです。義母も母も喜んでくれているし、お産、頑張りたいです。」

中村さんは、陣痛が遠のいて少し落ち着いたのか、心の内を話してくれた。

 

「池川さんは、お子さん、いらっしゃるんですか?」

 

「うちは、男の子がいますけど、再婚相手の子供だから。私が生んだんじゃないんですけどね。」

 

「ああ、そうなんですね。すみません、変なこと聞いちゃって。」

 

「いいえ、いいんですよ。血は繋がってなくても、やっぱり家族は家族なんだなあとは思いますから。

中村さんも、これから素敵な家族、作ってくださいね。」

 

「そうですね。なんだか勇気がでました。ありがとうございます。」

 

そこから少し陣痛は遠のき、中村さんは、妙子さんのアドバイスどおりに仮眠をとって休むことができた。

 

****

「先生、子宮口7㎝ですがお産進まず、血圧上がって収縮期が170です。赤ちゃんの心拍も下がってしんどい状態です。」

 

「はい、今行きます。」

 

中村さんは産気づいていたが、血圧も上がり、降圧剤を使用してはいるものの安全な状態とは言えなくなっていた。

「先生どうします?朝まで待てるかどうか…。」

 

「中村さん。今、赤ちゃんの心拍が下がってきていて、赤ちゃんがしんどい状態になっています。赤ちゃんを楽に出してあげるために、急ですが、帝王切開に切り替えることにします。一度帝王切開すると、基本的には次も帝王切開になりますがいいですか?」

 

「え…?帝王切開ですか?下から産むんじゃなくて?」

「はあ、はあ、はあ。」

中村さんは荒く浅い呼吸を繰り返していた。

 

「いまの状態では、それが一番安全に赤ちゃんを出してあげられる方法かと思います。」

 

「…わかりました。それが安全なら、そうします。よろしくお願いします。」

 

「池川さん手術室に運ぶ準備して。」

 

「はい。」

 

*****

 

手術室に入った中村さんは目を固くつぶり、ただ自分の手を強く握りしめている。

妙子さんは、緊張している中村さんの肩に手を置き声をかけた。

「もう抗菌薬入ってますからね。すぐ赤ちゃん楽になりますよ。」

 

妙子さんは、赤ちゃんを取り上げる準備をしながら中村さんを安心させようと寄り添っていた。

「中村さん、大丈夫ですよ。もう赤ちゃんでますからねー。」

 

中村さんは、やや肩の力が抜けた様子で覚悟を決めていた。

 

「ッギャーッ。ッギャーッ。ッギャーッ。」

 

「はーい、おめでとうございます。男の子です。」

妙子さんは素早く赤ちゃんの体をタオルで拭きへその緒の処置をした。

 

「はいどうぞ。ママ抱っこしてあげて。」

 

中村さんは、感動と汗でぐちゃぐちゃになったような表情でようやくおそるおそる目を開け、赤ちゃんを抱いた。

 

「わあ。あかちゃんだ。かわいい。重い。うれしい。」

 

****

 

一通りの処置が終わって、落ち着いた赤ちゃんは小児科医師の診察を受けていた。

中村さんは電話で旦那さんに出産の無事を報告した。

 

妙子さんは部屋でカルテを書きながらその様子を見守っていた。

 

「池川助産師さん。」

 

「はい。」

 

「今日は本当にありがとうございました。途中弱気になったときも、たくさん、励ましていただいて。おかげで無事に赤ちゃん産めました。」

 

「いいえ、素敵なお産でしたよ。」

 

「私、ずっと不妊治療で。やっと授かった子で。赤ちゃんを抱いたときこんなに幸せなのかって。自分だけこんなに幸せでいいのかなって。そんなこと思って、なんだか泣けてきちゃって…。」

 

「産後はホルモンバランスも崩れやすいから、なるべく無理せずにね。今日はお疲れ様。出産おめでとうございます。」

 

***

 

「お願いします。35歳女性、38週で初産婦。今朝明け方に帝王切開になりました。赤ちゃんは小児科診察で問題なしです。母乳育児希望あります。」

 

妙子さんは朝に来た助産師に、昨日の夜の出来事を申し送り、仕事を終えた。

 

ロッカーで着替えて外にでる。

妙子さんの顔に朝日が刺さる。

 

ここは病院だ。

命が生まれたり、消えたりする。

 

だけれど、まぎれもなくこの朝日は、今朝のお産で生まれたあの赤ちゃんを祝福しているように思えた。

 

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