「ね、連弾の組み合わせ発表見た?」
講義室に入ってくるなり、友人の美幸が興奮した様子で話しかけてきた。
「陽子、鈴音ちゃんと組むって!」
私が確認する前に先走って教えてくれた美幸を、恨めしい目で睨みそうになるのをぐっとこらえた。
「いいなぁ~!」
美幸は本気で羨ましそうに天を仰いだ。
音大のピアノ科が毎年恒例でおこなっている連弾のレッスン。仲の良い友人同士で組むよりも、普段一緒に演奏しない人同士で組んだ方が勉強になるという理由で、組み合わせはランダムで教授が決めている。
授業でレッスンを数回受けて「勉強会」と称したコンサートで披露する。このコンサートは親や友人、近所の人が聞きに来ることが出来る。
私のペアの相手である鈴音は、トップ争いをする実力者でありながら高校時代はモデルのバイトもしていたという才色兼備の美人だ。
気さくで朗らかな性格で、彼女の周りには常に人が集まっている。
正直に言おう。
私は、この鈴音という女がどうにも苦手だった。
私自身は、鈴音の対局にいるような人間だった。
太っているし、顔中にしつこいニキビが出ているし、そもそもの顔立ちだってよくない。ピアノの実力だってギリギリで合格できたようなもので、しょっちゅう先生に罵倒されている。
子どもの頃から唯一自分が輝けるのがピアノだと思って必死に練習して音大に入学したのに、入ってみたら自分よりも上手な人がゴロゴロいて、自分は底辺だった。
鈴音は、外見もピアノも、それから性格も、全て上の上で、できすぎた人間だ。
そんな鈴音を、私は単に妬んでいただけなのかもしれない。しかし、この当時は「絶対に鈴音にも裏があるに違いない。みんな騙されちゃってさ。」と思っていた。
そんな鈴音とのペアリングが決まり、私は憂鬱だった。
鈴音が友人たちと笑い転げる姿をよく見かけていたが、あのテンションに私はついていけない。
バカバカしい。どうせピアノだって天性の才能で大して練習しなくてもチャラチャラっと弾いてしまうに違いない。そんな鈴音とペアなんて、教授を恨みたくなった。
それに、勉強会で大勢の観客を前に鈴音と並んで演奏するのも嫌だった。私はまるで引き立て役。絶対に両親なんか呼びたくない。
「陽子ちゃん、だよね? よろしくね!」
講義室にやってきた鈴音がパタパタと私の方に駆け寄ってきて声をかけてきた。
「あ、ああ、よろしくお願いします。」
突然のことで驚き、ぶっきらぼうに挨拶を返した私に、鈴音は柔らかな笑顔を見せた。
どうせ私のこと「こんなブスでかわいそう。」とか、そう思ってるんだろうな。私はそんな風にひねくれた思いを巡らせた。
***
連弾の練習が始まると、最初のセッションから鈴音のイメージは大きく変わった。
休み時間に友人と笑い転げる鈴音はそこにはいなかった。真剣そのもので、曲のことをよく理解し、深めようとする姿が、そこにはあった。
それに、実によく弾ける。
実力があるのは知っていたが、自分の演奏が恥ずかしくなるくらい上手い。しかも謙虚で、決して私を責めずに、私の指が回らずにズレてしまった箇所など「あっ、ゴメン。私が走っちゃったかな。ここ、もっと落ち着いて弾かないとね。」などとフォローしてくれる。
「鈴音ちゃんは本当に上手だよね。」
ある日、練習が終わってからそう言うと、鈴音は照れ臭そうに笑った。
「いやいや、まだまだだよ~。これでも毎日一生懸命練習してるんだけど、なかなか。やっぱりモーツァルトは難しいよね。」
「どのくらい練習してるの?」
「日によるけど、長いと6時間とか?」
「6時間!?」
思わず大声が出た。ピアノ科で6時間練習する学生は少なくないが、鈴音がそんなに練習しているイメージは無かった。練習室にこもっている姿も、必死に楽譜とにらめっこする姿も、見たことがなかった。
「でも、あんまり練習室にいないよね?」
「早朝練習してるんだ。寮のピアノスペース、朝は空いてて集中できるから。」
話を聞いてみると、鈴音は工夫して練習時間を確保していた。なんだか話が弾んでしまい、私は素直に自分の気持ちをぶつけてみた。
「鈴音ちゃん、可愛いし綺麗だし、ピアノも上手いし、性格も良いじゃん? どうしたらこんな素晴らしい人間ができあがるんだろうってずっと思っててさ。」
すると、鈴音は一瞬驚いたような顔をしてから笑いだした。
「そんな面と向かって言ってくれる人、いたことない! わー、嬉しい! ありがとう」
「いや、本気だって。もうさ、天は二物を与えずどころの話じゃないじゃん。羨ましいよ。」
私の「羨ましい」という言葉に、鈴音の表情が少し変わった。
「んー、でも天から授かったものだけじゃないよ。どっちかっていうと努力してるんだ、これでも。あんまり努力してるって思われないんだけどね。ピアノはもちろん、外見だって性格だって、めっちゃ必死に磨いてきたんだよ~。」
その言葉にハッとした。
「そ、そうなの?」
「うん。音楽で成功しようと思ったら、上手なだけじゃダメでしょ?」
鈴音は事も無げにそう言った。その後聞いた鈴音のポリシーに、私は衝撃を受けた。
「舞台で演奏するからには、やっぱり外見って大事。綺麗な人、容姿に魅力がある人の方が舞台映えもするし話題にものぼる。それは生まれ持った顔や体型というよりも、オーラとか、ファッションとかメイクとか、あと立ち居振る舞いとか、そういうところ。自信がある人って、なんかすごそうに見えるでしょ? そう見えれば人は勝手についてくるし、仕事も勝手に増えていく。性格もそう。人当たりよく、可愛がられるように振舞えば、必ず自分のところに還ってくる。だから、私はピアノもそうだけど、自分磨きをしなきゃって思ってる。外見も、内面も、それから演奏も、多くの人に愛されるように。」
***
鈴音の言葉は私を脳天から貫いた。
自分のことが急に恥ずかしくなった。
その日から私は変わり、ダイエットし、スキンケアし、メイクやファッションも研究するようになった。それからピアノも、鈴音に負けないように必死に練習した。
性格も変えようと、自ら積極的に人に話しかけるよう努力した。
鈴音と連弾することになり、鈴音のコミュニティに入れてもらうことが増えたのが良いきっかけとなり、急速に友人の輪が広がっていった。
鈴音に心を開いたことで、連弾が急に楽しくなり、教授からも「上手くなったな」と言ってもらうことが増え、私は少しずつ自信をつけていった。