香苗は久しぶりにカフェ・リーベルに来ていた。
ひとつ前の恋人と、ここで別れ話をしてから、なんとなく足が遠のいていた。
今日は平日の仕事休みだった。
なんとなく、自分もそろそろ過去に踏ん切りをつけたくてこの場所に向かった。
リーベルに向かいながら、香苗はおのずと、昔リーベルでひとつ前の恋人と話し合った内容を思い出していた。
***
「うん、うん。じゃあリーベルにいるから。」
香苗は絶望したような、いらいらしたような気持ちで電話を切った。
なんだかんだ言って、何を話してももう自分たちの関係はもとに戻ることはないだろう。
だけれどこのまま終わりというのも納得ができなかった。
相手と話し合うというより、自分の気持ちに決着をつけるための話し合いのように思えた。
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チリンチリン…
入口のベルを鳴らして恋人が入ってくる。
いや、もう恋人と呼ぶのもふさわしくはないかもしれない。
香苗は先に席について、傍観者のような目で彼が歩いてくるのを見ていた。
「見てみて、ここに来る前にこんなの見つけて~…」
恋人は何事もなかったかのように香苗にスマホでとった写真を見せた。
見ると猫が塀の上でおなかを出して寝転んでいる。
「無防備だよね、塀から落ちるんじゃないかと思って。写真をとってる間もさ…」
恋人、いや目の前の男性は香苗の気持ちに構わず猫の話を続けていた。
「猫、好きなの?」
答えはどうでもいいと思いながらも、猫の話を続ける彼に香苗は適当に質問して合わせた。
「そうなんだよね~、猫ってさ~…」
どんどん話が違う方向にずれていく。
結局リーベルには2時間いて、うち核心的な話をしたのは20分程度だった。
その20分も、話は的を得ず香苗が本当に聞きたいことの答えを彼から聞くことはできなかった。
ここには、別れ話をしに来たのだ。
といっても、もう別れているに等しい。
恋人は、自分の知り合いと浮気しようとしていた。
そのことで困っていると知り合いから相談され、彼の行動に気が付いたのであった。
***
あれから一年がたった。
彼とのことで、香苗はみじめで、悔しくて、さみしい思いをした。
その感情や出来事を消化できなくて苦しかった。
そのことにも目を背けて立派に生きようと踏ん張っていた。
一年ぶりにリーベルに入り席につくと、自分は彼とのことで辛い思いをしたこと、みじめな思いを乗り越えようと頑張ってきたことなど、自分の気持ちに気が付いて少し肩の荷が下りた気がした。
こんな自分のことを、自分で認められたような気がした。
自分は、ふさわしくない人と別れて、自分の人生をこれ以上踏み荒らされないよう大切に守ったような気さえした。
席について今一度周りを見渡すと、一年前には目に入らなかった暖色の光が香苗を出迎えてくれた。
それは香苗の心にも染みわたって暖かさを運んでくれる光のように思えた。
外のテラス席からは、窓際の席に明るい太陽の光が差し込んでいた。
香苗はどんな出来事も移り変わり過ぎ去っていき、永遠にその時のままということはないのだと感じた。
そして人はいつでも新たな人生の始まりに立てる、そんな気がした。